つきじ心のクリニック

  • 〒104-0045
    東京都中央区築地2丁目8-10
    築地K&R2TODAビル 6階
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クリニックブログ

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酒井抱一の墓

江戸後期に活躍した画家、酒井抱一の墓が築地本願寺の境内にあります。江戸琳派を完成させた画人だそうです。 ...
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間新六供養塔

赤穂浪士の一人、間新六供養塔が築地本願寺の境内にあります。間新六は吉良邸討ち入りの後、泉岳寺に引き上げる途中に自身の供養を願い、槍に書状とお金を結びつけて築地本願寺内に投げ入れたといわれています。
忠臣蔵や赤穂浪士の物語を知っていましたが、間新六という人物に注目したことはありませんでした。全体像をとらえることだけでなく、一人ひとりの人生に注目する、一つ一つの事象を理解することは大切です...
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築地本願寺

東京メトロ有楽町線新富町駅から徒歩5分、または東京メトロ日比谷線築地駅から徒歩1分のところに築地本願寺があります。京都の西本願寺の直轄寺院だそうです。創建から400年を数える歴史のある寺院です。古代インド様式をモチーフとした現在の本堂は1934年に再建されたものだそうです。本堂、石塀、三門門柱が国の重要文化財に指定されています。   ...
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浅野内匠頭邸跡

日比谷線築地駅を出て聖ルカ通りを歩いていき、築地川公園を過ぎてすぐ、聖路加国際大学の西側にもう一つ史跡があります。あの忠臣蔵で有名な、浅野内匠頭のお屋敷跡があります。芥川龍之介生誕の地の標識の左隣です。松の廊下事件のお相手であった吉良上野介の吉良邸は現在の両国駅近くにあったそうです。討ち入りの後、永代橋を渡った赤穂浪士は現在の中央区湊、明石町あたりを通って築地市場方面に歩いていきお屋敷前を通り、聖...
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築地という地名の由来

築地と言えば築地市場が有名ですが、もともと江戸時代から市場は日本橋の北側にありました。それが築地に移ってきたのは関東大震災後の事です。もともと現在の築地界隈は、1657年の明暦の大火によって生じた瓦礫などを使って「築き固めた土地」である事から「築地」と呼ばれていました。そこは伊勢長島藩増山氏上屋敷、備前岡山藩松平氏中屋敷、尾張名古屋藩中屋敷跡などが立ち並ぶ武家地でした。 現在の明石町(築地のとなり...
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イチオシのパン屋さん(築地木村家ペストリーショップ)

東京メトロ日比谷線築地駅から徒歩1分。築地駅から当院への途中にあるパン屋さんです。
アンパンの元祖、あの銀座木村屋から明治時代にのれん分けして出店したとか。そのせいか、アンパンの種類が豊富。常温で3日持つのだそうです。
またこのお店の売りはカレーパン。「牛すじ玉ねぎカレーパン」は一度食べるとやみつきになる味。がぶりつくと、ルーがあふれ出すほどたっぷり入っています。お昼時に行...
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芥川龍之介生誕の地

日比谷線築地駅を出て聖ルカ通りを歩いていき、築地川公園を過ぎてすぐ、聖路加国際大学の西側に芥川龍之介生誕の地の標識があります。 芥川龍之介は築地入船町、現在の中央区明石町で牧場経営者新原敏三の長男として生まれました。生後7か月で母親が病気になり、母の実家である芥川家に引き取られた後、12歳の時に正式に芥川家の養子となったそうです。 クリニックの近くには史跡がいろいろあります。歩いてみて初めて知りま...
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波除神社

東京メトロ日比谷線築地駅から7分ほど歩くと、築地市場のすぐ近く、勝どき側に波除神社があります。創建より350年以上を数える古い歴史を持つ神社です。江戸時代に築地一帯がまだ海だった頃、埋め立て開墾工事が荒波により難航していた折に海で発見されたご神体を祀ったところ、海が凪ぎ、埋め立てが完成したそうです。それ以来、築地の歴史を見守ってきた神社なんですね。
私の祖先は新富町におりましたので、同...
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